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お久しぶりです

ekuboです

就活があまりにもあっけなく始まって、年度末でバタバタしているとブログの画面から遠のいてしまっていました。すいません。前回の鳥取編の続きもちゃんと書きます。近々突撃取材できたらいいな。。

 

 

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さて昨今、地域づくりがブームのようになり、多様な人の目が但馬に向いていて、実際あちこちで活動を始める人や団体をよく見ます。僕もその一人ではあるのだけれど、ちょっとしたことに違和感を感じたりします。

 

うまく言語化できないけど、よく思うのは町は誰によって作られるのか、ということです。

 

ある地域づくり先進イナカでは、都会からたくさん人や企業がやってきて、新しい仕事をどんどん作っているそうです。ITなど現代社会の最新のツールを田舎の資源と組み合わせて、新規事業がどんどんうまれる。面白い人が集まれば、アンテナ張っている同じ感覚の仲間たちが移住してくるし、どんどん波は加速していきます。

 

確かに面白いとは思うけど、それは結局誰のための動きなのか。

最近流行の地域づくりがよくわからなくなってきました。

 

誰が担うのかといえば色々議論があるけど、地域に住んでる普通の人が取り残されていては、それは別のもののように思う。イナカはどこに行くのかな。今ちっちゃい都会が、地方にいっぱいできているんじゃないか、そう思ったりもします。

いや、イナカだけでとかまず無理ですが、主体が誰なのかということを思ってしまいます。

さっきの先進イナカの若い人が「挨拶のできない地元になってしまった」ってブログで漏らしていたけど、確かに僕たちは新しい未来を手探りで探しているんだけど、元あった地域をごっそり入れ替えるような大きな力に吸収されてはダメだと思う。

 

そんなことを大学院のゼミの先生にぶつけると「町は本来つくったり、活性化させるものじゃないのかもしれないね」と今日言われた。

柳田國男が日本のムラを歩いているときに、なぜ目の前に広がる村の風景ひとつひとつが美しいのか自問したそう。それは、住んでいる人々の生活が美しく、その意図せざる村の精神が美しい風景を紡いでいるのだと。そこにムラを作ろう、活性化しようなどという論理は介在していないというわけです。民藝でいう「用の美」っぽい。

管理人の岡坂くんが登壇したCOC事業でも岸田川流域の風景は、「手入れする風景」なのだと議論の中でまとまっていったけど、近い感じですね。そもそもそれは経済活動抜きにした話かもしれないけど、何か抜け落ちている、という感覚の方が大事だと思いたい。

最近流行の地域創生なんかでは溢れてしまいそうな感覚が確かにある。

深夜に書き殴ってしまいましたが、またchoichoiぼやきブログもupしていこー。

 

 

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One thought on “hisabisa

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